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ReSoというタグについて

更新日:2月8日





リンカスが好きだ。

カスリンも好きだ。

ブロマンスも好きだ

仲良くセックスをしてほしい。

でも肉体関係を介さない深い絆もいい。

なんなら二人にお互いでない恋人がいてもいい。

どんな関係であれ互いに相手が大切な存在であることが変わらないのであれば嬉しい。


……というのが推しカプに対するスタンスなので、プロフィールなどに記載する「自称」をどうするかでよく悩みます。


いちばん普及している呼称で近いものは「リバ」かなとは思うものの、必ずしもセックスをする関係でなくてもいいし、セックスするにしても相互挿入しなきゃ嫌というわけでもないし…という感じでどうにもしっくり来ない。


といった感じで悩んでいるときに知ったのが「ReSo」というタグです。


詳しくはリンク先を読んでいただいきたいのですが、要約すると「必ずしも性的関係にない、必ずしも恋愛的関係にない、といった関係性」に対して使うものとして考案されたタグだそうです。


それに加えて「性的関係にはあるが恋愛的関係はない、性的関係はないが恋愛的関係はある、などの場合や、その関係が恋愛的であるかどうかを判断しない/できない場合」など、「特別な関係性ではあるがカップリングと呼ぶことには違和感がある、カップリングと呼びたいけれど周囲とのずれを感じる」場合にも使用していいとのこと。


私はこのタグを知る前に添付画像のようなCaspardtの話を書いたことがあるのですが、この「名前のない関係」という一文に当てはまるのが「ReSo」というタグなのではないかと感じたわけです。



こういう考え方の者であるため(どのカプとは限定せず)やたらと推しカプに「結婚」や「伴侶」という肩書きをつけたがる風花のカプ界隈の風潮は自分にとってあまり心地のいいものではなかったりします。


反結婚主義というわけではないので結婚しているペアが嫌というわけではないのですが、そうでない道を選んだペアまで結婚させなくても……と感じるのですね(風花ではキャラ達がやたら結婚するので自分の推しカプも、という気分になるのだろうとは思うのですが)


というのも、私は「結婚」という関係を「最上級の愛の形」であるとも「ゴール」であるとも思ってはいないからです。結婚したところで幸福にならなかった人々は世の中に大勢いますから、大切なのは「いい関係をずっと続けられること」のほうではないかなと。


そういった理由から「赤毛のアン」に出てくる「結婚式で終わる物語よりも、お葬式で終わる物語のほうがロマンチックだわ」というフレーズにとても共感を覚えるのですね。


加えて、結婚至上主義的な思想は「結婚していないペアはそうでないペアよりも劣った関係である」という認識が根底にあるようで嫌というのもあります。


それと同じ理由で「友達以上、恋人未満」というお馴染みのフレーズも好んではいないのです。「友達」という関係「恋人」という関係より劣っているわけではありませんから。




そういった理由から好きなのがリンハルト&カスパルと、カスパル&ドロテアのペアエンドです。


リンハルトとカスパルのペアエンドは「彼らが終の住処をどこに定めたのか、それだけは記されていない」という締め括られます。


そして、カスパルとドロテアのペアエンドは「二人は命が尽きるその時まで共に暮らしたというが、それを示す証は何もない」という言葉で締め括られます。


「伴侶でも恋人でもない(少なくとも文章の中には記されていない)つまり性的・恋愛的な関係では繋がっていない相手と生涯を共にした」という彼らの関係性が、なんだかとても眩しく見えるのです。


特に、異性のペアでありながらそのような道を選んだカスパルとドロテアのペアは「親しい間柄の男女は恋人になって結婚するのが当たり前である」という、恋愛伴侶規範や異性愛規範に縛られない関係であるのが素敵に感じます。


もちろん、「彼らは恋人同士である」と想像するのはファンの自由です。自分も二次創作では彼らを恋人同士として描くことも多いです。その延長として結婚という道を選ぶ展開もありでしょう。


とはいえ「彼らは絶対に結婚しているんだ! そうでないと嫌!」といった意見を目にすると、「そうでない関係の素敵さ」を否定されているようでやはり嫌な気分にもなってしまうわけです。

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